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​ヒナステラの生涯

 アルベルト・ヒナステラAlberto Ginastera(1916〜1983)は1916年4月16日にカタロニア系の父とイタリア系の母のもとアルゼンチンのブエノスアイレスで生まれました。ヒナステラの家系は農業、商工業、手工業を営んでいたため、音楽家の家系ではありませんでしたが、アルベルト自身は録音やストリートミュージシャンの演奏を通してタンゴやワルツを聴いて育ちました。

 ヒナステラは7歳から音楽の本格的なレッスンを受け始め、1928年、12歳でブエノスアイレスのウィリアムス音楽院に入学し、作曲、和声学、音楽理論、ソルフェージュ、そしてピアノを学び、1935年に同音楽院の作曲専攻を金賞を受賞して卒業しました。その後1936年にブエノスアイレス国立音楽院に入学し、作曲、和声学、対位法を学び、音楽院在学中にバレエ音楽《パナンビPanamabi(蝶)》を作曲し、この作品が1937年にブエノスアイレスのコロン劇場で演奏されると、ヒナステラは「ダイナミックで若き国際的な作曲家」[1]として世評を確立しました。《パナンビ》は1940年にバレエ付きで上演され、市とアルゼンチンの両方から音楽賞を受賞しました。1938年には卒業作品として『旧約聖書』の「詩篇150」をテクストとしてオーケストラと合唱による作品を作曲し、作曲科を首席で卒業しました。

 

 1941年からブエノスアイレス国立音楽院の作曲の教授とサン・マルティン将軍軍人学校の音楽科主任の職に就き、そして学生時代に知り合ったメルセデス・デ・トロMercedes de Toroと結婚し、二人の子供を授かりました。1945年、アルゼンチンで独裁的な政治を行ったフアン・ドミンゴ・ペロンJuan Domingo Perónが台頭するとヒナステラは教授職を剥奪されましたが、アメリカの作曲家コープランドの勧めもあり、家族でアメリカへ渡りました。1947年にブエノスアイレスに戻り、国際現代音楽協会のアルゼンチン支部を創設し、その後ブエノスアイレスの国立ラプラタ大学の教授に就任しました。

 

 1951年ごろからヨーロッパも訪れるようになり、ローマ、オスロ、ストックホルムで行われた国際現代音楽協会主催の演奏会で自作曲を披露しました。1952年に再びペロン政権の政治的理由によりラプラタ大学での職を剥奪されましたが、1955年にペロンが失脚すると国立ラプラタ大学の「監査官」に任命されました。1958年に再びラプラス大学の教授に就任し、またアルゼンチン・カトリック大学の音楽芸術学科の学部長に任命され、音楽カリキュラムの編成を担当しましたが、学長の職は辞退しました。その後奨学金を得て再びアメリカ合衆国を訪れました。ワシントンでの「インターアメリカ音楽祭」で彼が作曲した《弦楽四重奏曲第2番 作品26》(1958年)が高く評価され、ヒナステラの名は国際的に認められるようになりました。

 

 1962年、ヒナステラはブエノスアイレスのトルクアート・ディ・テッラ音楽院に新設された「ラテン・アメリカ口頭音楽研究センター」の所長に任命され、音楽教育活動に力を入れ始めます。ここでの業績としてはラテン・アメリカの若い世代の作曲家たちに奨学金を与え、著名な音楽家を招いて彼らが直接指導を受けることができるようにしたことが挙げられます。

 

 1968年からアメリカ合衆国に住み、夏の間はニューハンプシャー州のダートマス大学で教鞭をとります。1969年に妻であるメルセデス・デ・トロと離婚し、チェロ奏者のアウローナ・ナトラAurona Nátolaと1971年に再婚し、そしてスイスのジュネーヴに移り住みました。その後はチェロのための作品を数多く作曲しました。同年彼は歌劇《ベアトリクス・チェンチBeatrix Cenci》を作曲し、この作品はワシントンのケネディー・センターの落成式で上演されました。その後「マヤ世界の創造」をテーマとしたオーケストラ曲である《ポポル・ヴーpopol Voh》を初めとする数曲の作曲に取り掛かっていましたが、1983年6月25日、シュネーヴで亡くなりました。

 

[1]Schwartz-Kates,Deborah.Aiberto Ginastera: A Research and Information Guide

(New York:Routledge, 2010),p.xvii

​ヒナステラ作品一覧

バレエ作品

 

管弦楽

 

協奏曲

  • ハープ協奏曲 作品25 (1956年

  • アルゼンチン風協奏曲  (1937年

  • ピアノ協奏曲 第1番 作品28 (1961年

  • ピアノ協奏曲 第2番 作品39 (1972年

  • ヴァイオリン協奏曲 作品30 (1963年

  • チェロ協奏曲 第1番 作品36 (1968年

  • チェロ協奏曲 第2番 作品50 (1980年

 

ピアノ曲

  • 童謡小品集 (1934年

  • アルゼンチン舞曲集  作品2 (1937年

  • ミロンガ Milonga (1938年

  • 3つの小品  作品6 (1940年

  • マランボ  作品7 (1940年

  • 12のアメリカ風前奏曲集  作品12 (1944年

  • クリオージョ舞踏組曲  作品15 (1946年

  • アルゼンチン童謡の主題によるロンド 作品19 (1947年)​

  • ピアノソナタ 第1番 作品22 (1952年

  • ピアノソナタ 第2番 作品53 (1981年

  • ピアノソナタ 第3番 作品54 (1982年

  • 子どもたちのためのアルゼンチン舞曲集 

 

室内楽

  • パンペアーナ 第1番 作品16 (1947年

  • パンペアーナ 第2番 作品21 (1950年

  • 二重奏曲 (1945年

  • ピアノ五重奏曲 作品29 (1963年

  • ギター・ソナタ 作品47 (1976年

  • チェロ・ソナタ 作品49 (1979年

  • 弦楽四重奏曲 第1番 作品20(1948年

  • 弦楽四重奏曲 第2番 作品26(1958年

  • 弦楽四重奏曲 第3番 作品40(1973年

 

声楽を含む作品

  • 2つの歌曲  作品3 (1938年)​

  • トゥクマンの歌 作品4 (1938年

  • アルゼンチン民謡による5つの歌曲集  作品10 (1943年

  • ある農園での一日 作品11 (1943年

  • 魔法のアメリカ大陸に寄せるカンタータ 作品27(1960年

  • カンタータ『ボマルツォ』作品32 (1964年

 

オペラ

編曲

 

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